東京高円寺阿波おどり連協会所属
天水連
連長 岩浪 則彦
昭和60年(1985年)、高円寺で自分たちの理想の阿波踊りを踊りたいと、本番一ヶ月前にわずか数人の仲間 と結成したのが私達の「天水連」です。当時は何の援助もなく連の看板ともいう
べき高張提灯は手作り。鉦や太鼓など鳴り物にいたっては借り物、という状況 でした。今でこそ連のイメージカラーとなっている白と黒の衣装も、当時は「安
くて早く仕上がる」という理由からでした。天水連を運営するにあたっての借金も あり、その返済のために各地での阿波踊りの出演の仕事は、周りに頭を下げては
何でもこなしていました。とにかく大好きな阿波踊りのために先のことは考えず、 ガムシャラに走り続けてきた、という思いです。
そして今、気がつけば本当にあっと いう間に十年、さらに十五年、そして二十年と月日が経っていたのだな、というのが実感です。結成当初は人数が少ない 分、いろいろと苦労もありました。ほとんどの阿波踊り連が一連で各地のお祭りに
出演するには最低三十人はいるところを、それに満たない私達は他の連の方々との 合同出演や助っ人での出番がほとんどでした。そんな状況だったので、「踊りは一人
で五人分の声を出し、お囃子は五人で三十人以上を踊らせることのできる音を出す。」 という意気込みで取り組んでいました。
実際、前に百人、後ろに百人の民謡連の 助っ人として、お囃子が出演した仕事もありました。人数が少ないということは、 踊りもお囃子も、一人ひとりが目立って見てもらえるという反面、一方ではごまかし
がきかない厳しさがある、とういことです。
ですから、当然、練習量については 結成当時と変わらず、今でも他の連には負けない自信があります。 全員が集まる練習は基本的には月二回ですが、連員各自が、季節を問わず毎日が
練習、普段の生活の中にも阿波踊りを忘れない、という気持ちで取り組んでいます。また、夏の本番が近づく頃には連員が皆、毎日のように顔をあわせているので
阿波踊りの技術面だけでなく大きな家族のような心のつながりも深まっていくのです。
また、これまで阿波踊りをやってきて良かったと思うことは、「さまざまな人との出会い」 があったことと言えるかも知れません。出演の先々で天水連を歓迎してくれる方々、
そして阿波踊りに打ち込む他の連の多くの仲間達。職業や年令、住んでいる場所も 異なる人々が、「阿波おどり」という共通の趣味で交流を深めることができる、
ということはとてもすばらしいことだと思います。今後も私達天水連は阿波踊りに 対する情熱と向上心を忘れず、またアットホームな雰囲気も大切にして行けたらと
思います。
これからも 天水連全員でがんばっていきます。
皆様、これからもよろしくお願いいたします。 |